日曜日は結婚式の日

前回の建築おさらいが意外に長くなってしまったので、手短かにまとめたいところ。
今回はセルビアの人々について。


どこの国でも言えるように、いい人も悪い人もいるのだけど、
平均的に凄く明るい。オープンな雰囲気がある。言葉が通じないおじさんでも
片言セルビア語を話すと陽気になにか伝えようとしてくれるし、
日本で例えば、東京を一人でぶらぶらしているときにあまりに多くの人が
側を行き交い互いの存在を消し合いながら摩耗して寂しい思いをすることがある
のに比べると、貧しい人・やんちゃな若者・ちょっと済ましたエセブロンド美人・
振り返ってしまう美女・酒好きそうなおじさん・ロマ・よれよれの老人達が行き交う中を
歩くと、不謹慎かもしれないけれど、うきうきする。何かが起こるような。
*別に美人がどう、とかの話ではないです。


ただ、一つ悲しいことは、差別的な言葉をたまに浴びること。
アジア系人種に対する蔑視意識は、セルビア至上主義
(そんなものあるのか?でも僕はあると思う。)から来るのか、
世界を知らない単なる田舎者なのか。いっぺんそういう人とちゃんと
話してみないと分からないだろうなあ。


日本のことが知りたくて質問してくれたら、知りたがってくれていることに
嬉しいから伝えられるだけ伝えようとするけれど、何も知らないのに
いきなり「キネスキ!」とか言われると小一時間はいらいらしてしまう。
なんだか「田中さんですか?」「いや鈴木です!」をひたすら繰り返しているみたい。
ハンガリー狂想曲」(なんとか新書)を読んでて出会った
『自分という人間はどうでもよくて、国籍や人種で判断してくるのが、悲しい』
という文章がすごくしっくりくる。
現在鳥インフルエンザで鳥ホロコーストが世界のいろんな所で起こっているけれど、
乱暴に言うと、過去に起こったホロコーストと発想は同じかと。鶏だって生きているし
勝手な人間に交配されて、食べる歓びだけで生かされて、食べられる。
そして挙げ句有害だから排除。そしてそして、人間と違うからどうでもいい。


話を逸らしていってしまっているけれど、豚はかつては猪で食肉用に人間勝手に
改良された。鶏もまた、どっかで読んだナショナルジオグラフィックでは
足が大きく(肥大化)、柔らかい肉質にどんどん変わっているらしい。
マクドナルドのチキンナゲットを注文してしまう自分に、人間は業が深いなぁなどと言う
資格は無いけれど。まあいつまで経っても弱肉強食。それが性。


話を戻そう。何が言いたかったかと言うとセルビアには
明るくて溶け込みやすい、いい人々もいる反面で、
そういう嫌な人々もいるのです。


というわけで、☆☆★★★。