セルビアのおさらい 建築について

さっきの屋敷

セルビアから日本へ帰国する途中、フランクフルトで
待ち時間があったので、今回のセルビア滞在のおさらいをすることに。
でも今回の待ち時間は3時間と来るときの8時間に比べると大分まし。
でもフランクフルトはドイツのハブ空港だけあって、
うろうろしている人々が様々。人も多くてごった返している。
なんだか、どこの国ともつかない国と国の間で、ふわふわ浮遊している感覚で
空港を彷徨っていたら、バックパックが異常に重たい(本が5Kgとラップトップが
入っている.)。
知人から託された本も無事にスーツケースに預けられたし、
例の馬の人形(これがまた大きい)も機内持ち込みは
ダメだったけど、無事日本に持ち運べそう。HさんとHさんご安心ください。
てか片方のHさんはこのブログ読んでるのかな。ま、いいや。

さて、おさらいの話。
まずは建築について。

始め、ベオグラードに降り立って空港からバスに乗って市街へ向かうときの
印象は落書きが多かったり、インフラがぼろかったり、建物が黒ずんでいたり、
おののいた。段々と慣れてきて、ベオグラードの街を徘徊していると、
様々な様式をくむ正教会があったり、チトー時代のコテコテ共産主義建築が
あったり、なんとなくだけど小アジアの雰囲気が(行ったことないけど、
もっと西のヨーロッパの国と比較して)漂っていたり、
なにか統一された様式やもしくは一連の流れの中での建築があるわけではなくて、
ちゃんこ鍋みたいな、東西南北様々な地域から辿り着いたであろう様々な様式の
建築が混在する街だと思った。


でも、滞在も長くなり、ここで知り合った建築学生と話してみたり、
巡った近辺の都市と比較したり、ベオグラードの近代建築本を
ぱらぱらめくってみたりすると、なんとなく中途半端感が否めない建築が
多いということに気づいた。

一言で言うと洗練されていない。なんだか中途半端。
なんだか学生の拙い設計演習の制作群をアイコンにしてシムシティー的に
都市計画をしてしまったみたい。
そして、モダニズム建築も中途半端。共産主義時代の建築もルーマニア
巨大建築群に比べると中途半端。(これはでも喜んでいいことだと思う。
血税で造られたルーマニア建築は、非常にキッチュで見るだけで、
ぞっとするし、自国の歴史の認識が深いルーマニア建築学生は
ジレンマを抱いているのではないかな。)現代建築もかなりヌルい。


つまり、そうくるか!と思える建築が少ない。マニエリズム建築で、
「お、いいやん」というのはあったけど、西の国に進んで行けば
いくらでも発見できそう。ネオクラッシズムもきっと西からキタかと。
ここのオリジナルはこれや!みたいな建築が無いのが
問題なのかもしれない。日本において広義の近代建築を考えたときに、
メタボリズムが唯一世界に誇れる日本発信のスタイルだ、というのを
誰か偉い建築家が言っているのを読んだことがあるけれど、
そういう「ここから発信」的な建築がないのかもしれない。

でも集合住宅の屋根が民家みたいに、切妻で色も民芸調なのは
日本のニュータウンとかの集住に比べると可愛い。

まあ、そういう混在性というのがバルカンの面白いところなのかもしれない
けれど、「建築」を見るのを目的として行く場所ではないかもしれない。
でも「街」を見に行くのならけっこう面白いかも。
夜のライトアップされたカルメグダンは昼間見るよりも数段華やか。
街に横たわって流れるサヴァ川のボートクラブ群
(ボートハウスは見たこと無い。ほとんどが、浮いているクラブ。踊る方ね。)
も独特の景観を演出している。行き忘れたけど。
今度知り合ったインド人にロマの音楽のボートクラブに連れて行ってもらおう。


侵略しあって奪取しあってきた街だけあって、近代以前の建築はほとんど
見かけないけど、オットマン(確か)支配時代に造られたトルコ風の屋敷は
洋風とオリエントの香りが混在する雰囲気で面白かった。

そんなわけで、セルビアの建築は☆☆☆★★。(日本を★3つとして
基準とったときに)ちょっと辛口かもしれないけれど、
建築ラッシュの続くベオグラードに巨大資本が入ってきて、
大物建築家がなんか凄いのぽこっと建てたら、雨後の筍のように
ぽこぽこぽこっと面白い建築が建ち連ねるかもしれない。

10年後どうなっているのかちょっと楽しみ。

追記
たまに、おお!なんだあれは!?という驚き建築があるのもベオグラード
歩くときの密かな楽しみです。バスの中から見ることが多くて結局近くまで
行ったことのないのが多いんだけど・・・。