そして24日の話。

友達イタリア人

今日はモスタルに行く予定。
昨日飲み過ぎて頭痛い。
「バスで行くんだ!」とイタリア人に昨晩話していたのだが寝坊。
八時半に起きる。

でも結局イタリア人の2人が車でモスタルに行くというので乗っけてもらった。
頭痛い中、車でモスタルへ。寝て起きたりを繰り返していると
いつのまにかモスタルに着いた。


モスタルも見所は狭い地域に集中していて、古い、といっても紛争で破壊されて
つい昨年修復された石橋の廻りをうろうろしたら、大体見たことになるんだけど
ヤフーニュースでも流れていた、ブルース・リーの像が気になって探すことに
地元の人とツアリストインフォのお姉ちゃんに聞いたらすぐ発見できた。


やはり、モスタルにも紛争で破壊された建物が沢山あって、サラエボ以上に残っていて
また悲しくなったけれど、気を取り直して像のところへ。


金色のブルース・リー。こんな中国から遠く離れたところに置かれて
本人はどう思っているのかかなり気になるところだが、けっこうこの像人気あります。
子供連れの家族が続々とやってきて、写真を撮っていく。
それに倣って僕らも記念撮影。

で、どこをどう壊されたのかと思って地元の人に聞いたら
ヌンチャクが盗られた!と。・・確かによく見るとヌンチャクの片割れが
ない。でも一体誰が・・・。しばしブルース・リーと戯れた後
車を駐車したところまで戻って、イタリア人の2人はこれからひたすらドライブして
ミラノまで帰る、と。外科医と劇作家の卵の2人。すごくいい奴だった。


でで、どのタイミングでサラエボ行きのバスに乗るかと考えていたら、
日本人の女の子2人組に出会った。
横国の文系の学生で、イギリスに互換留学で来ていて、休暇を利用して
ここらへんを廻っているらしい。
話聞いていると、「サラエボ怖い」と言っていた。
自分はむしろかなり安全に感じていたので、まあ、日本人だと言っておけば
大概大丈夫と、セルビア語で「おいら日本人」を彼女達にも伝えておいた。
そのあと、クロアチア方面へ向かうみたいで、まあ旅の無事を祈ります。
なんだか彼女達と話して思ったんだけど、自分の感覚ずれてきてる!?
セルビアやばくないですか?」と言われて「いや別に普通だけど」と。
自分の当初セルビアに来たときは、ちょっとやばい、と思ったけど、
暮らしてみると全然普通だし、ただ、西の国の景観に慣れていると
ここらへんの地域の街は異様に映るのかもしれない。ロンドン見てから
ベオグラード見たりしたら、確かにびっくりすると思う。
日本のメディアの偏向した報道にも原因はあると思う。
日本のメディアが報道をどう作るのか、報道してくれたら
おもろいと思うんやけどなあ。
とか、ぶつぶつ考えていたら、そういえば飯食ってないことに気づいて
食物屋を探す。

(日本で言う)ケバブ 3KM
リンゴジュース 2KM
ポテトフライ 1KM 満足。


日本で「ケバブ」と言われている、あの移動式の屋台とかで売っているラップサンドは
実はギリシアが本場みたいで、本名ギロス(確か)。
ケバブは細長い挽肉をこねて焼いたものを、また焼いたピタっぽいパンで挟んで食べる。
シリア人のムスリムの友人も、これがケバブだ!と言っていたのできっとホントはそうなんだろう。


さて、お腹も膨れたし、そろそろ暗くなってくるなあ、と思いバス停に行って
サラエボへ帰還。バスの中熟睡。最近荷物に留意しながら寝る術を覚えてきた。
まあ、金持ってそうに見えんから、狙われないだけかもしれん。


宿に帰って昨日と同じ料理をまた作って、韓国人のバックパッカーがいたので談笑。
ああ、けっこうちゃんと韓国人と話すの初めてだな、と思っていろいろ聞いてみた。
「ハングルっていつからあるん?なんで導入したん?どういうシステムなん?」
「昔は漢字使ってたんやけど、たぶん20世紀に入ってからかなあ」
「唐辛子ってどこから来たんやろ。日本にも一度来たと思うんだけど、結果として今日の
 日本食と韓国食の違いって面白いよね?」
「けっこう昔だと思うんだけど、韓国の人々は貧しかったから、少しで飢えを癒すために
刺激的な食べ物が必要だったんちゃうかな?(でも日本の多くの人々、農民、は貧しかった、と
言ったら結局結論出ず。)」
「韓国は、軍隊に2年くらい入らないといけんかったと思うけど、どう思う?」
「あまり良くないなあ、特に付き合っている女の子がいる場合。
 でも僕はその間にスノーボードを売ってお金を貯めたから
 いまこの旅行ができる。中には脱走する子もいて、ネットカフェで捕まったり、
 彼女の所へ(振られて逆鱗して)向かうところを捕まった子もいる。」
「そうか、韓国ってネット中毒者多いよね。コンピュータの前に座り続けて死んだ子
 いるって本当なん?」
「それ、ほんと。可哀想な人達。72時間座り続けて死んだ子はけっこういるんだよ。
 ネットゲームに夢中で離れられないらしい。」
「辛いもの好き?」
「あんまり辛いのは好きじゃないなあ。韓国には辛過ぎるもの食べ過ぎて胃が
 おかしくなっちゃった人が結構いるよ。」
「でも韓国人の辛くない食べ物でも僕にはとてもきっと凄く辛いと思う。」
「ははは。」
「ああ、そう言えばこれまでどこ旅してきたん?」
「ええと、タイから始まって、、インド、ネパール、カザフスタンアフガニスタン
 イラン、トルコ、ルーマニアオーストリアチェコボスニア(もっと多かったはず)かなあ。
 もう西の国の街に飽きてきたから、ギリシア行ってからエジプトに向かう。ああ、そう
 スペイン語勉強したいから、そのうちペルー行って暫く住むと思う。そうそう、六月にはドイツに
 行かないと。サッカー見るの好きだから。これからアルバニア通ってギリシア行くよ。
 マケドニアと韓国は仲悪くてビザめんどくさいから通れないんだ。」
「もう一年も旅行したけど、あとどれくらい旅行するの?」
「もう一年くらい旅行したいな。大学に戻ったら、僕は法学部ですごく忙しくなるから
 僕は人生の今のこの時期でしかこういう旅行はできないと思う。」

とまあ、こんな話を英語でしてたんだけど、海を隔ててすごく近い国なのに
英語でしかコミュニケーションできないのが不思議だ。世界地図引っくり返して見ると
日本と韓国むっちゃ近いよ。やはり、海か。

彼らも明日の夜行バスでベオグラードに行くというので、また明日ね、と。
彼ら辛い物あまり得意じゃないと言ってたけど、翌朝キッチンで作っていた朝ご飯は
辛ラーメンでした。