そしてサラエボ

寒い

23日の話。
ブラセニッツでイベント明けたら金曜日で明日は週末ということで、週末被せて
サラエボモスタルに行ってきました。実はサラエボのあたりまでセルビア共和国の管理下の
地域が続いていて、ボスニアの国境越えてもセルビア圏は続いている。
なるほどだからセルビア人の友人はパスポートいらんかったのか、と納得して、
サラエボ入りしてやっとボスニア圏に入ったということになるのだろか。セルビアから向かった場合。

朝早かったので、バスで熟睡してたらサラエボにはすぐ着いた。
降りどころがわからないので、きょろきょろしてたら終点でよかった。ほっ。

バスターミナルが終点でそこで降りたけど、街の地理が全くわからないので
とりあえず街の中心に向かうことに。5ユーロでプライベートルームどう?と
声掛けられたけど、なんだか怪しいのでパス。イヴァナによろしく、となんだか
意味不明なことを言われた・・。


ほんで、街の中心までトラムで向かって、ツアリストインフォへ。
宿聞いたらアージェンシー紹介してもらって、バシチャルシアという
市場の近くへ。アージェンシーについて一泊10ユーロと言われて、さっきの5ユーロが
脳裏をよぎって迷ったが、立地条件の良さ(エージェンシーのすぐ隣にあった)が
気に入ったので、そこに投宿。荷物置いて、お腹空いたなあ、とか思いながら
劇場のパンフ見てバレエのチケットを購入することに。ほんで、まずどこに行くか
ネットでもしながら考えるかぁと思って、日本語見れるネットカフェ探して
まあクリスマス近しということもあったのでネット。ほんでまず街をうろうろすることに
してサラエボの街をうろうろうろうろ。なんだか歩いていて居心地がいいぞ、この街。
ベオグラードならアジア系の見かけだけで、じろじろ見られたりするけど、
この街の人は、そういうのをあまり気にしない。「なんだかアジア人がいるけど
旅行者だろう、よしよし」みたいな雰囲気がある。
ベオグラードなら「アジア人だ!つまり奴らはキネスキ!だめだめ」という雰囲気が
多かれ少なかれある。遺憾なり。


歩いてみるととても小さな街だということがわかって、基本的に
川に並行して大きな通りが2本走っていて、その通りを繋げるように
小道がうねうね通っている。イスラム都市は宗教的施設が空から降りて来て
それを縫うように街路が成立する、というプランを見て納得、の考え方を思い出した。

スカーフを被ったブロンドの碧い目をしたムスリムの女性も行き交うこの街では、
モスク、正教会カソリック教会、シナゴーグが混在している。
憎しみが憎しみを生み出した災禍(憎しみを、誤解、不安、戦火などと置換できるかと)の
10年前の紛争以前は、もっともっともっと多文化な都市だったんだろうなあ、
と建物に残る銃痕やいまだ復旧されていない建物を見て思う。1984年には冬季オリンピック
開催されているのに。でも、そういうエスニシティの多様性があったからこそ、
いま自分がこの街を歩いていてなんだか居心地がいいと感じられるのだろうか。

ああお腹が空いていたんだった、とケバプ食べようと
てきとうにお店に入る。
チェバプピチ 4KM
チキンスープ 3KM
さらえぼ麦酒 2KM (大体2KMで1ユーロ)
でお腹一杯になった。羊肉が入ったケバプはぷりぷりしてて食感は
いいけれど、臭いがちょっと苦手かなあ。


更に街路をうろうろして、青果市場冷やかしたり、
小路を発見して散策してみたり、サラエボぶらり一人旅を堪能。

シナゴーグ美術館に入って、ここでもホロコーストがあったのを知り合掌。
案内のおじさんが親切だった。夏にイスラエルの女の子に出会っていまユダヤ教とかに
興味あるんだ、と言ったら、そうか、そうかと色々教えてくれた。

雪がずーっと降ってて寒かったけれど、沢山歩いた。建物のスカイラインベオグラードよりも
低くて歩いてて窮屈さを感じない。バレエのチケットを購入(15KMで前から2列目)。

宿にキッチンあったのを思い出して、自炊しようと思い立ってスーパーで買い出し。青果市場で
玉葱2つとニンニク2つを購入。今夜と明日の夜はボロネーゼ茸盛り沢山パスタに決定。

宿帰って飯作ってたらぞろぞろと宿泊してる子達がやってきた。けっこう泊まってるんだなあ。
ご飯食べてギリギリまで仮眠。バレエで寝ると勿体ないから。


国立劇場まで歩く。外はますます寒かった。で、バレエの演目は「Shima」というやつで
そんなにこてこてのクラシックでなく、幾つか遊びの入った動作が見られて面白かった。
筋書きは、靴職人の若者が、高貴な女性に恋をして恋い焦がれるがそれは叶わぬ恋、
周りに沢山若い女性はいるけれど、高嶺の花の彼女だけが彼の心を捉え悶えさせる、
窓から彼女を見た日の幸せな一日、叶わぬ恋だと悟ってアトリエで項垂れる暗い一日、、、
そして結局彼女は高貴な男性と結ばれ、若者の恋は叶わない、てところだろうか。
パンフとか手に入れられなくて、踊りと舞台だけ見て類推したから、ほんとはもっと
違う物語だったのかもしれないが、自分にはそう映った。それはそれで楽しめてよかった。
ただ、一つ前の子供が数名うろちょろしてたのがかなり目障りだった。
子供がそわそわするのは仕方ないけど、保護者はなにもしなくていいのかい。


劇場を後にして爆竹がちらほらと鳴る街を歩いて帰る。クリスマスの電飾が
きれいだった。

宿に戻ると、イタリア人の外科医発見。
ワインを鞄の中に沢山持ってて、一緒に飲んだ。
そんで、そのままクラビング。二軒廻ったのだけど
疲れていたので、2時ころ宿に帰還。むちゃくちゃ寒かった。
でも楽しかった。いま書いてて後悔するのは彼らからもらった(後に出会うコリアンのバックパッカーも)の
アドレスを無くしてしまったこと。うう。写真送ってもらうはずだったのに。

土曜日はこんな感じでした。