ブラセニッツで

朝六時半起床。眠い。でもトルココーヒー(地域によってボスニアコーヒーやら、セルビアコーヒーやら
名前が変わるらしいが、総称としてトルココーヒーと呼ばせて頂きます。)で半分くらい目が覚めて、
外の寒気で、しゃんと目が覚めた。やっぱり徒歩で市長に会いに行く。
今日の予定は、時間は何時か全然わからないのというか決まってないらしいのだが、
市長→幼児→小学生→病院→小宴会場という具合に巡行して行くらしい。

市長とちょっと小話して、オニギリ渡して、次の幼稚園に。
幼稚園で子供スケールの机と椅子でおいしい目玉焼きとソーセージを頂き、
子供に折り紙を教えて、歌って、オニギリあげて、苦い顔をしている子達もいたが
幼稚園もなんとかこなす。


そして次に小学校に。
校長先生と談話して、またオニギリあげて、図書室を控え室にして授業を見学することに。
パソコン室では、小学生(といっても今考えると日本の小学生より大分大人っぽい気がするな)が
VISUAL BASICを学んでいた。小学生のとき確かやったような気がするが、10年前も今も始まりは
BASICなのかなぁ。


次。体育の授業。
小ぶりな体育館で、授業してるかと思ったら小学生達は、
’一人づつ’交代で腹筋にいそしんでいた。
他の子は腹筋してる子の脇でがさがさしてて、
脇の椅子に座っておしゃべりしてたり、、
これも授業の方針なのか・・。マッチョ養成基礎講座なのか。
女子がなぜこぞって運動着に着替えてないのか気になった。今日の授業は
「男子のためのマッチョ講座 基礎編 〜とくに下腹〜」というテーマだったの
だろうかね。
そんで最後に、音楽の授業見学して、島唄を歌った。
臨時で太鼓叩いた。ぽん。子供はなぜかクスクス笑っていた。
音調と旋律が珍しいのかなあ。オニギリあげた。

これで終わりかあ、と思っていたら、
最後の最後で図書室の前で、路上ライブ的ゲリラ演奏。
けっこう人だかりができて楽しかった。
また、オニギリあげた。

小学校も、子供の教育制度の話とか聞けたしなかなか楽しかった。
でも後でサイコに、「あのね〜みんな、次はスムーズにしゃっきりやってね!」とダメ出しされた・・。
明らかに待ち時間の方が長いし、ちゃんとやっていたはずなのに・・ショック。
てか、スケジュールが決まっていない、聞いていなかったのだが、
用事を、ドミノのように一つ終えると、次のが決まっているという感じで
そんなに支障なく順調に進んで行っているのが面白かった。やるやん。

ほんで次。病院に行った。ボスニアが改修した棟と日本のODA援助で改修した棟を
見せてもらった。日本の棟は設備がすごく揃っていて、寒さで踵の古傷が痛みだしていた
僕は治療をしてもらいたかった。肩痛めてる友人は、ちょっと機械で治療してもらっていた。
いいなあ。ここでは歌なし。人もまばらだった。

ようやく残り一つになったあ。と胸を撫で下ろしていたら、
とぼとぼとオーガナイザー(兼ホストファミリーのおじさん)が違う方向に歩き始めた。
なんだなんだ、とついて行ったらいつのまにか小宴会場の建物に到着してた。
いまいち、というかほとんどこの街の地理がつかめん。けっこう歩いているのに。

地図がないのが主な原因なのだが、結局、最後まで地図を手に入れることができずに、
経験的に街をトボトボ歩いて回ってオリエンテーションを獲得していく
非常にドラクエ的な要素の深い行動になった、と付言。


で、休憩して五時からのメインの準備かな?と思っていたら、小宴会場の建物の
上の階のオーガナイザーの職場や図書館を見せてくれた。でも何も言わずに
ずんずん連れていかれるので、やはりドラクエチック。
で、飯食うかという話になって、昨日ワイン飲んだところへ再び連れて行かれる。
きっとこのレストランが街一番のレストランなのだろう。もしくはここしかないとか。
注文してもなかなか来ないので、だんだん5時が迫って来て、着付けする先輩格の友人が
焦りだして、いそいそとご飯食べて小宴会場へ向かう。鱒を食べたけど美味しかった!
食事中、「飯食ってて遅れるのはまずいやろ!」
「いやオーガナイザーが適当なのがあかんねん。(これ僕・・
前フリの無いオーガナイズにちょっと腹立ってた。足痛いのによくわからずに歩かされてすねてる)」
「あなたたちが歩くのが遅いからこうなったの!(ああ、サイコ・・・)」

まあ、五時からには間に合った感はあるが、結局開演には間に合った、と思う。
なんか今日だらだら書きすぎた。