黒い山の挟間から

waatba2005-10-08

モンテネグロに行ってきました。セルビア・モンテネグロセルビアモンテネグロ
二つの行政からなるある意味、連邦国家で、セルビア通貨のディナール
モンテネグロでは使えない。ユーロなんです。
はっきり言って一つの国とは思えない。実際大分政況はゆらいでいるみたい。
(バルカン通信読んだ感じでは。)

モンテネグロの首都ポドリゴッツァは、これが首都とは思えないくらい
鄙びた街で、人口16万人、これは実家の日立くらいの大きさで、なんとなく
街の目抜き通りも地元の銀座通り(改めて、凄い名前だ・・・)と似たような
感じ。聞いた話では失業率は80%を超えるとかいう話だけど、
実際そんな状況になったら街は成立し得ないから、きっともっと少し低いだろう。
それにしても物価はやっぱりかなり安い。

だけど、海岸沿いには、地中海に面する古き街が幾つもあり、
絶好の観光地になっててこれが、ユーロを通貨として採用している理由なんだと思う。
夏には西からの観光客でごったがえすらしい。
景観的には、ノルウェイフィヨルド的な地形に加えて、
温暖な気候と抜群の透明度を誇る海岸沿いの町並みは、
日本ではまだあまり知られていないけれど、いま西欧ではかなりアツいらしくて
軒並み西の資本によるリゾート造成がちらほらと見てとれた。そして海岸沿いの
物価の上昇甚だし、とのこと。

で、コトル。
世界遺産にも指定されている街で、いわいわした高峰にある要塞の麓に
ベネチアやドブロニクと同様の航海通商時代に栄えた街で、
要塞まで1時間半かけて登ると、息を呑むほど美しい光景が眼下の街や山や海と
広がっとります。実際には、息も切れ切れ呑む息なぞは残っとらん状況で、
ぐったりで動けないのか、景色に見とれて動けないのか、
一時間くらい要塞の天辺でまったりしてた。
同行したシリアの子達はラマダン中ということで水も呑めずにかなり、
ひーひー言っていた。水だけは許しったってもいいと思うけどなあ・・・。
「日が落ちるまで3時間半・・・」と呟いてた。
運がいいと山羊や牛がうろうろしているみたいだけど、その時は道すがら
大量の糞を発見しただけで、うろうろしているのは人間だけでした。

コトルを訪れて疑問に思ったことがあって、博物館のおばちゃんに聞いてみた
けど、実際あまり知らないみたいで、はぐらかされた感じ。

■こういうタイプの要塞(基本的に石造りの要塞はそう)は、
爆薬が戦いに使用される前の形式だと思うけど、
コトルの博物館には幾つか大砲が見受けられ、通商時代に栄えた麓の街と
上の方の要塞は違う時期に作られたと思うんやけど実際、要塞と街はいつ頃に形成
されたの?

□回答『この街はトルコの攻められても陥落することがなかった。
古い古い街なのよ』

ベネチアキプロスに植民してた(もしくは領有してた)けど、
コトルはどっか領有してるところあったの?

□回答『ゆってる意味がわかんねえ。でもコトルはハプスブルグの支配下にあったのよ。この街はそれはとても古いんだから』

■コトルは主になにを商ってたの?

□『特にってのはないよ。基本的になんでも。』

・・・・自分で調べる必要がありそうです。
展示みてると帝国主義のときもなんかいろいろあったみたいだからちょいと気になるところだ。

あ、魚食べて、ワイン買って海辺で夜景を肴に飲んだり
かなり満足しました。ポドリゴッツァに着いたときはちょいと落胆したけど
モンテネグロかなりいいです。

でも、シャワーは水。生温さを微塵も感じさせない
こーるどしゃわー。お腹壊すの怖い。