血沸き肉踊る、コロ踊る、酒池肉林

waatba2006-05-06


旅行から帰ってきて間もなく、友人のセルビア人の彼女の姉の結婚式に招かれてベオグラードからバスで4時間程の村へ行ってきた。只でさえ結婚式に出席したことが数える程の自分が、いきなり旅行から帰ってきて間もなく、友人のセルビア人の彼女の姉の結婚式に招かれてベオグラードからバスで4時間程の村へ行ってきた。只でさえ結婚式に出席したことが数える程の自分が、いきなりセルビアンウェディングに参加してきた。両親がスペイン人とスウェーデン人の結婚式に出席したときの写真を見た時も驚いたが、他の国の結婚式ってかなり異なる場合があるから面白そうだ。


中欧旅行の延長のような気分で、ブダペストからの列車が着いたその晩は殆ど(スケジュール的に)寝れずに、明朝朝7時のバスでベオ出発。眠い。バスの中では熟睡していた。


結婚式はAlijeという小さな街で行われた。マリーナ(ラズベリー)の栽培が盛んなところで、マリーナの為の葡萄棚ならぬマリーナ棚がちらほらと見受けられた。友達の彼女のベバの実家があるところで、400年前以上に出来た教会が街の特徴となっている。トルコに占領された時に、聖人の壁画の眼が潰されており、かつてここが侵略されたという傷跡を直に目にすることができる。現代に入ってからも変な風に改修されることなく、そのままの、時を刻んだままの教会の姿は美しかった。


あまり結婚式の段取りをよくわかっていなかったのだが、結婚式は3日続く(!)。
1日目は花嫁の家で始まり晩は結婚式会場で。
2日目は結婚式会場で1日目の続きのような感じで。
3日目は再び花嫁の家で最後のドンチャン騒ぎ。
(クリストリッツァの映画『アンダーグラウンド』見て頂ければ・・)


僕が日本人の友人達と参加したのは、一日目と二日目の始めだけだったが、だいぶ日本の結婚式と雰囲気が違う。まず参加者がかなり多い。花嫁の家での食事を済ませて、結婚式会場に向かうと(途中合間合間にコロを踊りながら、、)席の数がかなり多い。500人分以上はあった。目算した感じでは800人分はあったかと。


さて、コロという名前が出てきましたが、これはバルカンの民族舞踏で輪になったりして、一定のリズムを保って踊る踊りで、言わば日本の盆踊りのようなもの。
ステップは全然違うし、複雑なものもあるが、僕はことあるごとにこの踊りを練習しているので、簡単なものはちょっとだけ踊れます。(実はサルサもちょびっとだけ踊れたりもする)高齢の人も、足を軽やかに舞わせるのでちょっと見とれてしまうが、そんな地元ステップに負けじと横目でチラ見しながら精進。


傍目には踊り続けている変な日本人として映っているのかもしれないが、これがなかなか楽しいのである。歌ったり、音楽を演奏すると気持ちがいいように、踊るのって気持ちがいい。文章を読むだけじゃ得られない実際にやらないとわからない経験があると思う。


さて、結婚式の話に戻ると、結婚式の裏方では人数分の料理を作るのに忙しそうだった。ハム、チーズ、サラダ、豚・羊の丸焼き、煮こごり、キノコの酢漬け、パン(他にも参加者からのケーキが沢山)などが凡その献立で、その量たるや、かなりのものである。覗いたついでに、つまみ食いをさせてもらう。


そして、バンドのおじさん達が大音量で演奏するなか、参加者が集まるのを待ってると(いつ始まるのかわからない、、なんとなく参加者が集まってくるとおもむろに始まる)わらわらと参加者。3時位から3時間くらい待っていてようやく食事がスタートする。


バンドの演奏に合わせて、飲み食いし続けて、コロを踊りながら夜は更けていき、羊の丸焼きが登場して、新郎新婦の父親達が、パンを半分に割って分け、肉を切り分けて、宴も酣。ケーキカットの時には、ブラスバンドのおじさん達も登場して賑やかなことこの上ない。興奮した人が席の上で踊るわ、グラスは割れるわ、酔っぱらいが絡んでくるわ、バンドの演奏は騒がしいわ、ともかく厳粛という言葉からはほど遠い感じであった。

タイトルにあるように、人々は興奮し、ハレの精神状態となって、肉を食らい、コロを躍り、飲み物や食べ物がいくら食べてもなくならない酒池肉林状態を経験した。ブラスバンドの演奏はよかったけれど、バンドの演奏は大音量過ぎて良さがわからなかった。セルビア人は大喜びだったけれど、自分に耳にはうるさ過ぎたかな・・・。


とにかく、面白い経験だった。誘ってくれたベバに多謝。新郎新婦さん達には幸せになって欲しい。