都市としての格

ちゃんと見えるかな?

いろんな所を旅行してきて(と言っても、ヨーロッパとバルカンが主なのだが)最近、一国の首都を巡る度に感じることがある。言わずもがなの事かもしれないが、書こう。

それは、'都市の格'のようなもので、新書の『国家の品格』(読んでないけど)で言っているような内容なのかどうかは全く念頭にないが、気風や気品や在り方と言えばいいかもしれない。更に言えば都市の機微とも言えるかもしれない。「ああ、なんか感じるんだけど、一言で言えない!」みたいなところ。様々な要素が織り合わさっている。


首都というのは面白いもので、僕はそこにその国のエッセンスがふんだんに露呈しているような気がする。交通機関の整備度(インフラ=都市基盤)や、旧市街と新市街の上手な住み分け方(観光産業への姿勢)、レストランや店でのモノの値段(人件費の水準)、郊外のスプロールの仕方(都市計画の成熟度)、人々の振る舞い(習慣)。


ここらへんの国は首都間の距離が短い。そういうわけで、旅行をしていると、自然と(旅程を熟考しないと)首都間を繋げる旅行になってしまっているので、自ずから違いをダイレクトに体感しているような気がする(僭越ながら都市の発展性を占ってみたりもできるわけなのです)。しかし、いざ言葉にしようとするとぐにょぐにょと長くなって自分の中の認識が明快になるどころかより曖昧になりそうなのだが。


この国はいい!と思ったり、この国は駄目だ、と感じたり。


短く言っていくと、ウィーンについては、どっかで書いてるので割愛。最短だ。ブダペストはドナウを挟むようにブダ側とペスト側があり、それを内包するように都市は集積していて、トラムや地下鉄は古いが、公共交通の黎明期の先駆けだけだっただけはあり、雰囲気を感じる。昔からこういう風に揺れていたのかな、と寛容になれる。オーストリアハンガリー二重帝国の片割れだけあっただけあって'帝国'だった面影がある、ウィーンが持つ帝国の首都のような雰囲気には劣るが。建物は老朽化しているものもあるが、目のつくところから修復しているような印象を受け、観光を頑張っている感じがする。それに感応してか、かつての強かった頃のマジャール民族の余裕か、人々の物腰は柔らかい(ベオグラードから来ると余計そう感じるのかもしれない)。ドナウ川と鎖橋の風景が、ここをして劇的にドナウという川が多くの都市を通っているという事実と軍事・交易的に重要であることを知らしめる。プラハは、バスで郊外から入って行く途中は、洗練された(ように見える)現代建築群から貧しくはない国であるように見えるし、市街地の建物の古さから、ある程度意識した住み分けがあるのかなと感じられるし、コンパクトな旧市街には似つかわしくない観光客の数・数。街は美しいが、観光客も存外に目に入ってくる。カレル橋を渡って王宮へと歩くと、ここが君主制に敷かれた街だったのだな、と強く感じる。ビールが美味いが、地元民よりも、観光客の喉を通るビールの量の方が多いのではないかとも思える。人々は社会主義の飛沫の影響を漂わせているような印象を受けた。(泊まった場所が特殊だったのかもしれない・・一番多く顔を付き合わせたのが受付のおっちゃんやったし。ああ、レストランの人はそんなことなかったな・・。)街がキレイな割に駅が微妙で、半分西で半分東のような気もする。ベオグラードは、以前におさらいした時に書いた通り中途半端な建築が群居しているが、クネズやスカダリヤなどの目抜き通りは'白い街'の栄華を感じさせる(ベオグラードを訳するとこうなる。でも現状では清掃費がなく煤けていることが多い)。大きいが、成熟はしてない街に見える。新市街と旧市街の更に外側の未開発地帯には'特になにもなさそう'なので、そのうち開発されてもっとぼやけた巨大な都市になる気もする。トラムやバスはよく止まり、日本のODAのバス以外の殆どが古くて穴があいている事が多々ある。人々は、戦後の余裕の無さかそういう気性なのか、雇用者という意識も低いし(サービスが悪い)、非常に大味である(体はデカイが配慮をあまり出来ないとも言える)。



徒然と、失言と礼を失した発言を交えながら繋げてきて、読んだ人は途中で読み飛ばしたことだろうと思うが、最後に、東京(上野周辺)とウィーン(王宮を中心として)の航空写真を見比べて見て欲しい。東京とウィーンでは3秒みただけでは同じに見えるが、5秒見続けると、各区画が、ウィーンの場合、細胞核のように区画内にオープンスペースを有しているのに対して、東京の場合、塊の無造作な羅列のように区画内にオープンスペースを有しているものは少なく、ここに僕が東京に滞在した時に感じる閉塞感のようなものの遠因があるのかもしれない。そして10秒見続けると、ウィーンの川(ドナウから引き込んだ用水路であって、ドナウ川ではないが)に土手のようなものが見受けられ、船もちらほら点在しているのに対し、東京の川は何もなく、只、水が流れているだけで、水際との関係性が断たれているように見受けられる。どちらの都市もかつては水運から恩恵を賜り川際に発展してきた歴史的プロットを顧みるとちょっと東京の川が可哀想だ。東京は戦後に立ち上がった大都市なので違ったコンテクストで読み込む必要があるのかもしれないが、ウィーンの方が遥かに住みやすそうだ。


ああ、でも東京的なランドスケープの1つになりつつある、六本木や汐留の航空写真も見てみないとフェアじゃないかも。東京はその周辺部も含めて、大ロンドンの如き様相を呈しているので、それらの関係性とかも繋げてみないと正しい判断は出来ないのかも。


別の日に書いたMQの所在地は、ウィーンの航空写真の左中部の『田』の字の4つ□の中に点が一づつ打たれたように見える界隈です。ちなみに。


と、ここまで書いてアップして確認したら画像小さ過ぎた。なにもわかりませんね、これでは。すみません。興味ある人はGoogle Earthで行ってみて下さい。